皆様の生活を支えるHAPPYのスタッフを紹介します。

【看護師】

冨田 優(所長)

冨田 優

 皆様、初めまして。訪問看護ステーションHAPPYの所長で看護師の冨田 優(とみた すぐる)です。国立循環器病センターや大阪医科大学付属病院などの手術室を経て、種子島の田上病院(現 種子島医療センター)、箕面市立病院を経て、副所長の枝澤とともに訪問看護ステーションHAPPYを設立しました。

「かかわる全ての人の幸せを創造する」という理念には、私

枝澤 尚美(副所長 兼 管理者)

枝澤 尚美

 皆様、はじめまして。HAPPYの副所長で看護師の枝澤 尚美(えだざわ なおみ)です。2児の母です。これまで、大阪医科大学附属病院(病棟・産婦人科外来)、北摂総合病院(手術室)、箕面市立病院(手術室・救急外来)で勤務をして参りました。

 私は3姉妹の末っ子なのですが、ちょうど6年程前に3姉妹の中で一番しっかり者の姉が、若くして脳腫瘍の診断を受けました。根治を目指して手術を受けましたが、術後に脳梗塞を合併し、脳に障害が残りました。その後、障害と共存しながら6年間の闘病生活を送りましたが、3年前に脳腫瘍が再発。抗がん剤による治療も空しく、末期状態となってしまいました。

 治療法がなくなった姉は、ホスピスに入院することになりましたが、ちょうどその時期に世界はコロナ禍に見舞われ、面会や24時間の付き添いができなくなり、大切な姉の側について看病することができなくなってしまいました。「姉の最期は、絶対に自分の手で看取るんだ」と考えていた時、箕面市立病院の同僚でもあった所長にポロッと訪問看護の話を持ちかけていました。すると所長は「それなら、訪問看護ステーションやろう。家に連れて帰って、俺たちで看よう」と提案してくれました。それが、訪問看護師の道を進むきっかけです。

 余命宣告を受けてからの約2年間、これは宣告されていた「半年」という年月を遙かに超える期間でしたが、沢山の思い出が詰まった実家でHAPPYの仲間たちから心のこもった支援を受けながら、1日1日を穏やかに過ごしていました。しかしながら、月日と共に病状は緩やかではありますが確実に進行し、最期は家族に看守られながら安らかに息を引き取りました。

 所長や仲間たち、多職種の方々や家族に支えられながら、私の「自宅で看取りたい」という希望が叶えられました。また、私は家族としても一人の看護師としても、自分の精一杯の看護を最期まで貫くことができました。在宅で家族を介護する生活においては、看護師である私にとっても全く先が見えず、心身共に疲弊することが何度もありました。しかし、それ以上に生きていてくれることの尊さや喜び・共に過ごせる幸せを日々噛み締めながら1日1日を大切に過ごすことができました。姉が遺してくれた言葉や温もり、思い出は私の中でかけがえのない宝物となり、心の中にずっと残っており、大変だった在宅療養でしたが、今ではその選択は間違っていなかったと確信しています。

 私は自身の経験をもとに、利用者様だけでなく利用者様を支える御家族の心に寄り添い、安心して在宅での療養生活を送っていただけるよう、スタッフ一丸となって「プロとして家族のような関わり」を大切にしたいと考えております。また、お一人お一人の人生において悔いのない選択や意思決定ができるような支援ができるよう努めて参ります。「こんな些細な事を…」と思っても、気軽にご相談下さいね。どうぞ宜しくお願い致します。

【理学療法士】

藏本 大貴(部長)

藏本 大貴

 はじめまして!リハビリテーション部門 部長の藏本 大貴(くらもと だいき)と申します。弊社理念のもと「その人らしい生活の役に立つ」をスローガンに生活支援の場で働く理学療法士です。職歴は10年目になります。急性期病院や老人保健施設・通所リハビリテーション施設・整形外科クリニックでの経験を経て、現在は訪問看護ステーションHAPPYで日々汗を流しております。

 

 私の大きな転機は、病院勤務から老人保健施設へ異動になったことでした。当時はまだ駆け出しの頃で、その勢いのままに一人でも多くの方の治療することに明け暮れていました。
しかし、時間が流れる中でヒシヒシと感じたことは、自分が生活の現場で全く役に立っていないということでした。例えば、トイレに座れるのに辛そうな表情で寝ながらオムツ排泄をする人、風呂が好きだとお話していたのに怯えた表情で寝たまま機械浴に運ばれる人など、生活の場を共にすることで初めて見えた世界がありました。「生活の場が病院」のようになってはいないか?主体的かつ個性的でなければならない生活者を、再び患者という受身な存在にしていないか?と自問自答する中で、私は医学的な専門家ではなく生活の専門家でありたいと強く思うようになりました。

 HAPPYのリハビリテーションの主な目的は「治す」ではなく「暮らす」であります。そして、その対象は「人体」ではなく「人生」と考えております。

 基本的に明るく、よく笑い、よく喋るタイプです。あと、阪神タイガースが大好きです。そんな私の見た目からは「兄ちゃん、専門家っぽくないな」とよく言われがちですが、これまでの経験から沢山の専門的な知識・技術、そして経験や人間性を培ってきております。それらを最大限に発揮して、ご利用者様が住み慣れた家や地域社会の中で、その人らしくイキイキと暮らしていくためのお役に立てることが、私の幸せであります。どうぞ宜しくお願い致します!

窪田 かおる(管理者)

窪田 かおる

 皆様はじめまして。ヘルパーステーションHAPPYの管理者 兼 サービス担当責任者の窪田 かおる(くぼた かおる)と申します。介護保険や障害福祉サービスのヘルパー(訪問介護)を担当しています。

 HAPPYの特徴は、何と言っても看護と介護の密接な連携です。利用者様にとって有益であるのはもちろんのこと、私自身ヘルパーとして勤務するにあたって医療分野に精通した看護師・理学療法士に相談できる環境はとても心強く、的確な情報を得て自信を持って介護に当たらせていただくことが出来ます。

 お一人お一人のお気持ちに寄り添うことを大切にしながら、HAPPYの仲間とともに介護に必要な知識や技術の研鑽に励み、利用者様にとって より良い生活を送っていただくためのお手伝いを致します。 業務以外でも身体を動かすことが大好きで、2018年には大阪マラソンを完走しました。

 持ち前の体力とフットワークを最大限に発揮して、ご利用者様や地域の皆様のお役に立てるよう毎日元気に走り回りますので、宜しくお願い致します。

村井 里奈

村井 里奈

 はじめまして、ヘルパー 兼 事務職の村井 里奈(むらい りな)と申します。

 私は、人と関わることが大好きで、ずっと接客業に従事しておりました。以前の職場では子育てと仕事の両立が難しく、悩んでいたところを所長と副所長からスカウトしていただきHAPPYに入職しました。

 子どもの急な発熱や行事等で休むことに対しても理解してくださったり、仕事以外のことでも親身になって相談に乗ってくださったりと、今では安心して働くことが出来ております。また、看護・介護の世界は未経験で右も左も分かりませんでしたが、仕組みのところから丁寧に教えて頂き、はや2年が経過しております。

 ヘルパーを志したのは、看護師や理学療法士が事務所で利用者様への思いや利用者様に最善の関わり方・支援方法について話し合っている姿を見て「私も利用者さんと関わりたい。役に立ちたい」という気持ちが強くなったことがきっかけです。

 利用者様やそのご家族様の気持ちに寄り添うことを忘れず「来てくれたら安心するわ」と思っていただけるよう、笑顔で支援させていただきます。また日々の精進を忘れず、自己研鑽にも励んで参ります。宜しくお願い致します。